そもそも山車って?
日本には、山そのものを神とする神体山が全国各所にあり、聖地として、人の立ち入りを禁じてきました。心霊の鎮まる聖なる山への信仰は日本古来のものであり、ヤマやホコはそのような心意を背景として成立した神の依代でありました。
神は去来すると考えられ、その神が依りつく神座は、時と場に対応して変化する。ヤマ・ホコもその一つであり、それが形態や装飾に趣向を凝らした作り物へ展開したものが、山鉾です。
ダシとダンジリ
「山車(ダシ)」という語は、天下祭とよばれた江戸山王権現と神田明神の祭りなどで鉾頭の飾り物を指した「出し」の呼称が江戸型山車の完成とともに全体の呼称となり、「山車」と表記したところにはじまります。近代国語辞書で、「山車」を最初に採用した際には、「祭礼のダンジリ(東京)」と記しているように、当時はダンジリの方が山鉾の一般的な呼称でありました。
山・鉾・屋台
山・鉾は、現在、非常に多様なあり方で各地方に伝承されています。それこそ祭りごとに特色があり、差異を問えば限りない分類が可能です。
筑波区の山車は、人形山の江戸型山車に分類されます。熊谷うちわ祭の山車7台は全て江戸型山車であり、川越祭も江戸型山車を使用しています。台車については、地方によって様々で、四輪であることが殆どですが、熊谷うちわ祭で曳き回されている山車・屋台は全て三輪で、小回りが利くことが特徴です。
筑波区山車紹介
参考:日本の美術516号(独)国立文化財機構